でくの舞を支える人々(2)
東二口文弥人形浄瑠璃保存会のみなさんに聞く



次世代の柱を担う「中堅どころ」土井下悟史さんと北出昭夫さんのインタビュー
現在、東二口文弥人形浄瑠璃は20代〜80代の10名の保存会会員のみなさんにより活動されています。今回は東二口文弥人形浄瑠璃保存会の中堅を担う土井下悟史さんと北出昭夫さんにお話を伺いました。大学進学や就職で、一度は故郷を離れた二人が今でも、人形に携わっていられるのは、道下会長の存在が大きかったと口をそろえます。「でくの舞」を長年支えてきた道下会長はじめ先輩方とは親子ほどの年齢差。
現在、東二口文弥人形浄瑠璃は20代〜80代の10名の保存会会員のみなさんにより活動されています。今回は東二口文弥人形浄瑠璃保存会の中堅を担う土井下悟史さんと北出昭夫さんにお話を伺いました。大学進学や就職で、一度は故郷を離れた二人が今でも、人形に携わっていられるのは、道下会長の存在が大きかったと口をそろえます。「でくの舞」を長年支えてきた道下会長はじめ先輩方とは親子ほどの年齢差。
そして、ゆとり世代と呼ばれる若手会員たちとも、異なる時代背景に育った2人にとって「でくの舞」はどのような存在なのでしょうか。幼少時の思い出、二人の絆、そして今後の活動について話を伺いました。
※平成28年に取材したものです
幼少期の思い出

リトル モウ
Q1.お二人とも、ものごころがついた時から身近に「でく」があったという環境ですよね。

土井下さん

土井下悟史さん
小学生になった時に、祖父に連れられて、はじめて会場に行きました。
酒呑童子の鬼が退治される話が好きで、地元の子らには特別な演目でした。
3、4年生になると、人形を持ってみたくて、仕方がなかったことを覚えています。

北出さん

北出昭夫さん
中心は父や祖父の年代で、規制もあったので、舞台に女性や子供が上がることはできませんでした。
子供の頃から実際に人形を持つことや、教わることが難しい時代でした。
初舞台〜稽古について、
人形への思い


上の人たちを説得して、舞台の袖に入れてくれました。
その時、脇役の人形をもたせてもらうことができました。


特に集中して教えてもらったということではなく、小学生の頃に名人が、人形を操つっているのを見ていました。
そのイメージの記憶をもとに演じている気がします。

身体で表現するために感情で動くことが大切だと思っています。
以前は、人形から身体がよく離れて道下さんに注意を受けました。
でくが身体から離れると気持ちがひとつにならない。
長くやってきて、ようやく気づくこともありますね。

土井下さんは、演じていて特に好きな役柄はありますか。

20歳を過ぎてから、女形の人形を持つことが多くなりました。
ただ自分の中に完璧な女形のイメージが無いので、演じ終わったあとにいつも悩みます。

人形遣いとして、お互いにどのような存在なのでしょう。

役の中で実際、絡みも多いですし、やり易さは感じます。
「でくの舞」への思いと現状
そして、これから

現在も津幡に住みながら、保存会の活動に参加されているそうですが、やめようと考えたことはないのですか。

役に取り憑かれる面白さを知ったのは、30を前に、父が倒れこちらに戻って来てからです。
一気に「でく」の世界に入り込みました。
今も、母親が、東二口にいるので、不便はありません。
冬はでくの定期公演もありますし屋根雪を下しに実家に戻る機会も多いです。

「でくの舞」を取り巻く、環境も変わって来ているのではないですか。

20分〜30分人形を持って動き回るとふらふらになります。20〜30代であと3〜4人いてくれればと思います。

面白いと思えなければ続けられないのも現実です。ただ私たちは伝承者としての責任もありますし、
今後は、人形遣いだけでなく、語りの勉強も必要になってくると感じています。
昨年(平成28年)の舞台から、金沢工大の学生が簡単な役どころを手伝ってくれているのが有り難いです。
「でく」のサークルを作ってもらって、我々の活動を手伝ってもらえるシステムが組み上がると良いなと思います(笑)。

最後にお二人にとって「でくの舞」の魅力を教えて下さい。


20代〜80代の人間が一緒にやれて、ワッハッハと笑える、そんな場所はどこにもない。あの場所こそ、最高の空間です。

これからも、保存会会員のみなさまのお話を伺って、HPに掲載していきますので、楽しみにしていて下さいね。
※平成29年夏〜秋の取材のものです