国指定重要無形文化財
文弥人形浄瑠璃・尾口でくの舞について
「人形浄瑠璃」は17世紀半ばの江戸時代に京、大阪と江戸を中心に大流行していた芸能です。三味線を伴奏に、語り手(太夫)が伝説や歴史物語を独特の節回しで聞かせ、人形が物語を演じるという人形芝居で、芸の世界に新風を吹き込みました。 多くの語り手が独自の節を確立し、人々を熱中させ、中でも二代目 岡本文弥による「文弥節」は哀愁を帯びた曲節が「泣き節」と呼ばれ、大阪で人気を得ていました。
当時、尾口村東二口集落の若者が、学問の傍ら、京都や大阪に出向き、「文弥人形浄瑠璃」を習い覚え、村に持ち帰り教え広めたことが、きっかけとなり、長い冬の間、雪に閉ざされ、酒と博打に明け暮れていた村人たちは、人形が織りなす芝居の世界に心引かれ夢中になっていきました。
東二口地区で代々受け継がれてきた「文弥人形浄瑠璃」は東二口文弥人形浄瑠璃保存会のみなさんにより、大切に継承されています。
全国では、新潟県佐渡・宮崎県都城市・鹿児島県薩摩川内市と石川県白山市を含む、4か所で継承されるのみとなっています。なかでも、17世紀中盤の、素朴な構造形式の人形を一人遣いで操る手法を継承しているのは、東二口の「尾口のでくの舞」であり、当時さながらの古風な響きの浄瑠璃にあわせ、怒り、歓び、悲しみを人形遣いが演じる姿は、観客の心を魅了し続けています。
東二口文弥人形浄瑠璃保存会は毎年2月に東二口歴史民俗資料館にて「定期公演」を開催しており、4日間で4〜5演目を上演中です。毎年、県内外より多くの観客が訪れ演者の熱演を間近で鑑賞する機会となっています。地域の過疎化、演じ手の人手不足を補うために、地域にゆかりの深い金沢工業大学の学生らが人形遣いに加わっての公演も好評で新たな賑わいを見せています。
東二口文弥人形浄瑠璃「でくの舞」 現代語訳絵本のラインナップ
【あらすじ】 京の都で、お姫様が連れ去られる事件が続きました。ある日、占い師が都で悪事をはたらいているのは大江山に住む酒呑童子をカシラとする鬼たちのしわざだと告げます。勇敢な武士の源頼光と5人の家来らは、さっそく、お姫様たちを助けに大江山へと向かいます。さて、無事に鬼を成敗し、お姫様を都に連れ戻すことができるのでしょうか。
【あらすじ】 唐王朝から藤原鎌足公への贈り物として宝珠を運ぶ任務を仰せつかった将軍が、途中、不覚にも竜に面向不背の玉を奪われてしまいます。この事件が発端となり、ひとりの海女の人生が、大きく揺り動かされていきます。海女は、宝珠を竜から取り返すため、わが子の出世と引き替えに、自らの命を捨てる覚悟を決めて、海の底へと向かいます。非情な運命に翻弄されながらも、わが子を愛おしむあまり、子の成長を見られぬまま、この世を去ってゆく無念な思いに胸が打たれます。
【あらすじ】平家の騙し討ちにより命を落とした源義朝の妻、常盤御前と3人の幼子は平清盛らに命を狙われ逃亡を続けていました。危険な出来事に遭遇しながらもなんとか生き存え成長した子供たちは、再び源氏の世を取り戻そうと平家討伐を企てます。物語では、幼い子供たちが母を思いやり気丈に振る舞う場面や、常盤 親子を敵方と見抜きながら逃す平家の武士の温情、また一人寂しく元服を祝う義経(牛若)に寄り添う烏帽子屋の娘、東雲の聡明な様子が印象深く描かれています。近松門左衛門の作品のチカラをぜひ感じてみてください。