でくの舞を支える人々
 

現在、東二口文弥人形浄瑠璃は20代〜80代の10名の保存会会員のみなさんにより活動されています。
絵本を制作するにあたり、東二口文弥人形浄瑠璃保存会会員の皆様に取材をさせていただいたところ、興味深いお話・エピソードがたくさん飛び出しましたのでご紹介します。(2016年7月取材)

   

 東二口文弥人形浄瑠璃・でくの舞を支える人々(1) 


東二口文弥人形浄瑠璃保存会会長 道下甚一さんのお話 

幼少期の思い出

リトルモウ
Q1.道下会長は昭和20年生まれの71才(平成28年時点)と伺いましたが、人形浄瑠璃との出会いはいつですか?

道下甚一
自分が生まれた家が、人形をやっとったから物心ついた時からずっとや。
先祖代々、人形の好きな家やった。分教場の休み時間は、友達と人形ばっかしとったもんや。人形と言っても、杉の枝に目鼻を付けて、ちゃんちゃんこ裏返したものを着せて、人形をまわしたり、家でじいちゃんとが浄瑠璃を語っとるのを聞きながら合わせて人形を動かしとった。

初舞台〜稽古について

リトルモウ
Q2.では、初舞台はいつですか?
 
道下甚一
15才の時、地域の寺で舞ったのが最初。
 
リトルモウ
Q3.それまでは舞台にあがれなかったということですか?
 
道下甚一
15でやっと一人前と認められて舞台に上がることができたんや。
それまでは、2月にまつりのふれ太鼓が、ドンドコなると嬉しくてメシがのどを通らんかった。4年生の時に、はじめて友達とふれ太鼓を叩いて1時間半かけて村中を歩いた。
そのあと舞台の隅に入れてもろて、ばあちゃんがそっと幕の袖から渡してくれた角餅を食べながらずーっと見とったんや。飽きもせんと、ずーっと。
 
リトルモウ
Q4.「時忘れ、まま(飯)よりうまい、でくの舞い」 とはこのことですね。では、どのように芸を覚えていくのですか?
 
道下甚一
節を師匠について習うんや。節は全部で34種類あって、小さい頃から聞いとるうちに自然と覚えてしまうけど、それでも習得するまでに5〜6年かかる。
マイクの無い時代は、太夫は大きな声を出さんなんかったから、夏は炭焼きやら畑仕事をしながら、山に向かって大声を出してトレーニングをしとったんや。節を口ずさめるようになると、それに合わせて人形をまわすイメージトレーニングをするんや。

人形の構造と操り方

リトルモウ
Q5.人形の構造はどうなっているのですか。衣装の特色についても教えてください。
 
道下甚一
心棒という木の丸棒に肩の板をかぶせて、頭をネジで留めてある。昔は、ネジの代わりに竹串を差して頭をつなげとったさかい、激しく動くと、頭が飛んでしまって恥をかいたこともあった(笑)。人形は作り付けという、頭と胴体が一体となったものと、首線が付いとって引っ張ると頭がガクガク動かせるものとか、心棒の先を細く削って、頭との間に隙間を作って、ヒモで操作して動かせる構造のもんもある。男と女の丈のバランスをとるために、女形の心棒は短く作ってあるんや。衣装は、まず肌着を着せて、男人形は、丸首盤領型という首の周囲を囲むようにつけた丸い襟の着物を着せてあるし、女人形の衣装は打掛の襟を掛け合わせたものになっとるがや。
 
リトルモウ
Q6.いずれも仕立ての綺麗な着物ですね。では、人形はどのように操っているのですか。
 
道下甚一
人形遣いは着物のすそから両手を突っ込む両手裾突っ込み式。そして、肩板形式という左手で人形の鼻が正面にくるように心棒を握り左肘を脇腹に付けて、右手は肩板を持ちながら、刀やら盃やらを人形に持たせとるがや。肩板の高さで額をくっつけた状態で舞い手と人形が一体となって踊るんやけど、足首、膝、腰、手首の関節の動きで喜怒哀楽を表現するがや。
 
リトルモウ
Q7.えーっ!!ものすごい集中力とエネルギーが必要ですね・・・スゴイ。
 
道下甚一
人物や役柄によってまわし方が変わってくる。全部で14種類の型があるがや。舞台の上では3歩進んで2歩戻るという基本の動きがあって、必ず先に身を動かしてから人形を引き寄せる。舞台に登場する時も、ポンと出て来るがでないげんぞ。回し上げというて、幕の下から弧を描くように登場する。退場の時はその逆。
 
リトルモウ
Q8.様々な決まりごとを身体に覚え込ませるだけでも相当大変、鍛錬が必要ですね。
 
道下甚一
役柄で、舞台の上手(向かって右)から出る人形と下手から出る人形も決まっとるんや。さっきも言うたけど、役柄によっては、左肩を落として斜めに構えたり、悪役の人形は、足を引きずるようにすると肩を揺すって偉ぶっとるがに見えるし、女の人形の場合は、身体を揺さぶったりせんとすっと構えて、すり足が基本。

でくの舞の現状と未来

リトルモウ
Q9.これだけ情報を聞けただけでも、興味がぐんと広がりました。見え方が変わる気がします。話は変わりますが、昔からみると人形浄瑠璃に携わる人がずいぶん少なくなったことは残念ですね。
 
道下甚一
そうや。最盛期は40以上の演目があったけど、今は5つが精一杯。
昔は、女の人と子供は舞台に入ることさえ出来んかったけど、今はそんな時代じゃない。
地域に残っとるのは3人だけになった。
 
リトルモウ
Q10.でも、20代の若手も加わりましたよね。
 
道下甚一
もともと尾口の子らで、今は金沢に住んどる。文弥まつりになると帰ってくる。
あの子らが小学生の時、ゆとり教育が始まった平成12年から3年間、隔週の休みを使って年間40日間みっちり教え込んだ。佐渡の公演にも連れていったりどこでも勉強に連れて行ったんや。
 
リトルモウ
Q11.遊び盛りの頃ですよね、抵抗は無かったんですか。
 
道下甚一
一生懸命やっとった。興味があったんやと思う。今から、人形浄瑠璃を引っ張って行く子たちや。
 
リトルモウ
世代を越えてひとつの舞台が作れるのは、素晴らしいことですよね。
貴重なお話をたくさんありがとうございました。