『源氏烏帽子折』初段

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源氏烏帽子折

 初段

ときは平安末期。
平清盛との戦で敗れた源義朝は、京の都から家臣の長田庄司忠致を頼り、尾張国へと向かいました。
ところが、平家に寝返っていた長田忠致の騙し打ちに合い、野間の内海で、無念にも命を落とすこととなりました。
 
平治二年正月のこと。
平清盛は、長田忠致らを伴い、後白河法皇に新春の祝いを述べ、源義朝を討った証拠に源氏代々の
太刀と、武具、白旗のはぎれを差し出しました。
法皇は、大喜びし、義朝を討った功績を労いました。
しかし、かつては臣下であった義朝が不覚の最後を遂げたことを不憫思いせめて朱雀寺に墓を建てるようにと言いつけ、義朝を裏切った長田忠致に、「残された義朝の妻、常盤御前と幼子を探し出し、守り育てその罪を償うが良い。そうすれば、草葉の陰の義朝の恨みも薄れるであろう」
と、おっしゃられました。
義朝亡きあと、常盤御前は悲しみに暮れていました。
兄の今若は九つ、乙若は六歳、三歳の牛若はまだ乳呑み児です。
母と子は、雑草に埋もれ、落ち葉が降りかかる家でひっそりと暮らしていました。
兄の今若は、「母上様、いまに私が、父の仇、清盛を討って見せます」と、竹馬にまたがり何度も庭をぐるりと回ってみせました。
すると乙若が杖に引っ掛けた赤い布に矢を放ち「平家を射止めたぞ」と叫び、牛若が、その布を大きく口を開けて喰いちぎると「平家の赤旗を取ったぞ。えいえいおう」と、手を叩いて喜びました。
母は「平家方に漏れたりすれば、どんなひどい目に合わされることか」と牛若を抱き上げ、
「今若も、乙若も早く、お寺へ行なさい」と叱りました。
二人は、しょんぼりとして手をつなぐと、近くのお寺へ文字書きを習いに出掛けていきました。
 
そこに突然、長田忠致が、多くの軍勢を引き連れて現れました。
「逃がすな、捕まえろ」と、いうが早いか常盤御前と牛若を捕らえ連れ去ろうとします。
常盤御前は声を荒げ「お前が、主を裏切った長田か。無慈悲な極悪人め。私の命など、惜しくはないが、せめてこの子の命を助け、主君を裏切った罪を償いなさい」と泣きくずれました。
「法皇には助けよと言われたが、清盛公からは皆殺しにしろと言われておる。
さあ、今若と乙若は、どこだ」と、長田は常盤御前に詰め寄りました。
「何があっても言うものですか」と、常盤御前が断ると長田はふたりを縛り上げその場から連れ去りました。
 
その頃、源氏に仕えていた藤九郎盛長は朱雀寺の義朝の墓を訪れていました。
すると、編笠越しに、こちらの様子を伺うひとりの若者の姿に気がつきました。
その男をよく見ると、昔、寺で暮らしていた仲間で義朝公の側に仕えていた金王丸でした。

藤九郎盛長は知らん顔でお墓に手を合わせると「義朝公に御供しながら長田を討てずに逃げた卑怯者め」とつぶやき、今度は、わざと金王丸に聞こえるように
「金王丸とかいう臆病者の人でなしを側においていたため、不覚の最後を遂げることになり、なんとも無念なこと」と涙を流しました。
それを聞いた金王丸は、素知らぬ風を装って義朝公の卒塔婆に向かうと、
「私が引き止めたにもかかわらず、長田に心を許したばかり討たれてしまったのは誠に残念なことでございます。今はこの屈辱を報復する覚悟でおります。
まだ若君たちは幼く、家来たちも散り散りになっております。残っているのは、下っ端の藤九郎盛長とかいう心根の腐った口先ばかりの臆病者の大腰抜けで何
の役にも立ちません」と言葉を荒げました。
しばらく二人は互いを罵倒し合っていましたが、ついに我慢がならず太刀を抜き、
身を震わせて、歯ぎしりをしながら相手の出方を伺っていました。
すると突然、藤九郎盛長がカラカラと笑い出し「こんな臆病者と戦っても何の役にも立たぬ。立派な大将のお墓をこんな腰抜けに供養させるなど
誠にもったいない」というやいなや、三メートルもある卒塔婆を地面から抜き取り両手で抱え走り出しました。
金王丸はすぐに追いかけ「お前には、渡さぬぞ」と卒塔婆をつかみました。
卒塔婆を取り争う二人の身体は、血走り関節が競り上がり、全身の力こぶが
松に絡む藤の蔓のように浮かび上がり足の下の土は二十センチほどへこんでいました。
左手と、右手を互い違いにねじり合ううちに、
分厚い卒塔婆が真ん中でぷっつりとねじ切れてしまいました。
二人はしばらく、にらみ合っていましたがついに
「なんと頼もしいやつ」
「これからは、互いに心を合わせて平家を滅ぼし、義朝殿の無念を晴らそうではないか」
と、卒塔婆を投げ捨て顔を寄せあうと涙を流しました。
やがて近くで、役人らが「囚人を捕らえたぞ」と、叫ぶ声が聞こえました。
二人は、木陰に隠れ様子を伺いました。
なんと、そこに連れてこられたのは、牛若を抱いた常盤御前です。
 
「そなたの命は無いものと決まった。しかし、清盛公のお側にお仕えするというならば、
三人の息子の命は助けてやろう。さぁどうする」
常盤は、「早くこの首を刎ねなさい。そうすれば長田に喰いついて恨みをはらせるというものです」と、
刀取り役の長田の息子太郎を睨みつけました。
その目から、涙がこぼれ落ちました。
「やむをえん。首を打て」という命令に長田太郎は震えました。
膝をガクガクとさせながら、常盤御前の後ろにまわり、太刀を振り上げたその時、
盛長と金王丸が、飛び出し、長田太郎を蹴り倒すと、
「主君の仇、思い知れ」と、一気にその首を切り落としました。
警備の武士たちは、あまりの勢いに恐れをなして、散り散りと逃げて行きました。
金王丸と盛長は常盤親子を逃すと、それぞれ軍勢を集め平家を滅ぼすことを誓い
その場を後にしました。