『源氏烏帽子折』第四段

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源氏烏帽子折

 第四段

弥平兵衛宗清と、妻の白妙は、源平の戦いがおさまるまで世のなりゆきを見ようと、去年の秋から近くの野山を歩き観音巡りなどをして気楽に過ごしておりました。
ある日、十五、六の少年が直垂の袖で顔を隠し、人目を避けるように夫婦の前を通り過ぎて行きました。
二人は、そっと少年のそばに寄り袖をひきました。
「もしや、源氏の大将牛若殿ではありませんか」と小声で話しかけると、
「そうだ、牛若だ。私を探している者だな。こうなっては、逃げることもできない。
いますぐ首を討って、清盛に届け手柄にすればいい」と涼しい顔で言いました。
「私どもはあなたがまだ幼かった頃、
伏見の里であなた方兄弟を助けて差し上げたことがございます。どうぞ、ご安心下さい」
それを聞いた少年は安心したように「実は私は、牛若丸ではありません。烏帽子折屋五郎太夫の娘、東雲という者です。父の五郎太夫は、欲に目がくれて牛若殿を平清盛に差し出そうとしました。しかし、寸でのところで金王丸が牛若殿を救い出しました。
ところが今度は父の弟、叔父の雷玄法師が平家に訴え出て、大将監物太郎頼方らと共に、
手勢を引き連れて牛若殿に追っ手を掛けることになりました。私は牛若殿と夫婦になった者ですから、自ら牛若と名り、追っ手に討たれたとしてもそのすきに、一足でも遠くへ逃げのびさせたいと思っております」そういいながら泣きました。
宗清夫婦は感心しました。
そこで宗清は、白妙に東雲と同行し牛若のもとへ向かい、そのまま御供するように言いました。
そして、「わしはここに残って、追っ手の大将監物太郎頼方に出会ったら、
長話を仕掛けて邪魔をしよう。その間に、先へ進むのだ」
白妙は夫の羽織を着て、編笠を被ると、東雲と共に、牛若のもとへと向かいました。
 間も無く、大将監物太郎頼方が手勢を引き連れて駆け込んできました。
宗清は、酒を差し出すとのらりくらりと軍勢を引き止めていました。
そして、ゆっくりとあぐらを組むと「これは、大事な話だぞ。差し出しみんな聞きなさい。武士たる者には大変、役立つ話だ」と、もっともらしく声を張り、
「昔、昔、あるところにおじいさんとおばあさんがいました。おじいさんは、山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に・・・・」と、語り始めると、ついに監物太郎は「ええい、人を馬鹿にして。酒に酔っているのか。皆の者、相手になるな。先を急ぐぞ」と、宗清を振り払って後も見ずに走って行きました。宗清は小さくなっていく監物の背中を見ていました。

 牛若が、江州土山まで進んだ辺りで白妙と東雲は追いつきましたが雪解け水の流れが早く、近くを流れる田村川を渡ることができませんでした。
「さて、運は天にまかせ今宵はここで野宿をしましょう」と、神社の拝殿で休むことにしました。
その頃、監物太郎は飛ぶような勢いで追って来て、すでに江州土山に到着していました。
水かさの多い、田村川の様子を見て「必ずこの辺りにいるはずだ。探し出せ」と、
戦の始まりを告げる鬨の声を四方八方に分かれて轟かせました。
もう逃れることができないと思った牛若は、「源の牛若丸は、ここにいるぞ」と、叫びながら駆け出しました。
白妙も東雲も牛若の左右に付き添って走りました。
八十余人の追っ手がいっせいに飛びかかって来ました。三人は、敵を身軽に飛び越え、身を翻し華々しく戦いました。
雷玄法師は、東雲を捕まえようと追いかけて石を、雨やあられのように投げてきます。
飛んで来る石を薙刀で四方八方に打ち払うと、石は、跳ね返り、敵方の額や鼻や頭、首にバチバチと当たったので、みな、あわてて逃げ出しました。
白妙と、監物の家来がとっ組みあいになっていましたが、目にも止まらぬ早業で、首を討取ってしまいました。
牛若丸は、残った兵を攻め立てました。
雷玄と監物が左右から攻撃すると、牛若は鳥居の天辺に飛び乗り、カラカラと笑って「そちらは、大勢。こちらは僅か三人だ。しばらく休みましょう」と、左手で扇をあおぎました。
その様子に監物は怒り弓を引いて矢を放ちました。
牛若が松の枝にひらりと飛び乗ったので、続けて矢を射ると、今度は鳥居へと、いとも簡単に飛び乗ります。
雷玄は近くの百姓の家にあった鍬を取り出して、根こそぎ倒してしまおうと、鳥居の柱の根本を堀り始めました。
すると牛若は、鳥居の笠木に足を掛けてぶら下がり、雷玄の額を刀で切りかかりました。驚き逃げて行く、雷玄を捕まえて刀の柄を両手で握り、大きく振り上げ、まっぷたつに切り落としました。
監物は、わなわなと震え残った兵に「全員、討ち死にしても構わん。かかれ、かかれ」と、
怒鳴りました。
三人は四十人余りの兵を斬り、生き残った兵も今にも死にそうな様子で「もうだめだ」と、次々に、田村川に飛び込むと、浮いたり沈んだりしていました。
そこで、三人は、手に手を組んで、川の中の兵の頭を踏み肩を踏みながら、川を飛び越え向こう岸に駆け上がりました。
牛若は白妙と東雲を称え、「よくやった、礼を言うぞ。
これこそ、天下を治めるめでたい門出となるだろう」と悦び、東国へと急ぎました。