Q1.山口さんは保存会の中では最年少です。でくを始めたきっかけについて教えて下さい。
具体的なことを色々知ったのは、小学生になってからです。その頃、村に文化祭があり、同世代の5〜6名の子供たちで演目をやってみようということになり、全部で5演目あったので1年に1演目づつ教えてもらいました。道下会長や土井下さんが「この場面はこうやぞ」と説明しながら、手取り足とりみっちり教えてくれました。その時に内容がグッと入ってきました。
Q4.では、山口さんが特に好きな演目(場面)について教えてください。
そうですね。演目ごとに好きな場面はそれぞれありますが、『大職冠』の海女人が竜から玉を取り返したあと、子供と別れを惜しみながら命が尽きる場面や、『出世景清』で景清を裏切った阿古屋が改悟し、我が子2人を殺し、自らの命も断つシーンはかなりグッと来ます。
でくと、気持ちが重なるということですね。
はい。『出世景清』で自分は、母親(阿古屋)に殺される兄弟の下の子の人形を小学校の頃から持っていましたが、歳を重ねて20才を過ぎた頃から徐々に、感情移入するようになって来ました。
Q5.たくさんの方が真冬の山麓東二口まで「でく」を見に来られますが、すごいことですよね。
そうですね。以前東京で公演をする機会があって、有料だったにもかかわらず、「でく」を好きな方で会場が満杯になったことがありました。その時、我々のことを知って下さった方が、足を運んで下さるようになりました。なかには、ここに来たくても、来れない方もいて。そんな方たちの思いも感じながら、余計頑張らんなんなという気持ちになります。
応援してくださっているみなさんの思いに応えたいですね。
婦人会のみなさんの協力がないと、まつりでの炊き出しはできないし、公民館の方や金沢工業大学のみなさんはじめ、いろんな方に支えられて実際出来ていると思っています。
Q6.現在の立場から、これからの活動について思うことはありますか。
自分の下がいないので、この先どうなるのかという思いはあります。今、頑張らなくては「でく」が伝わらなくなる。でも今、頑張れば何とかなるかとも思うので・・・今、しっかりとやっていきたいです。
Q7.70代から20代のみなさんで「尾口のでくまわし」は継承されていますが、山口さんにとって保存会のみなさんはどのような存在なのですか。
保存会の中で何でも教えてもらって来たという感じです。でくのことも人生のことも。大人になって先生から聞いたのですが保育園で「ビール持って来い」とか言ってたらしくて(笑)。まつりの打ち上げで聞いていたのを真似ていたのだと思いますが、心のどこかで上の人たちにずっと憧れていたような気がします。
最後に、今後に向けて思うことがあれば教えてください。
ここの雰囲気が子供の頃から、大人になった今でも好きです。今、でくを楽しめている自分がいます。5年後、10年後どうなるかわかりませんが、今のメンバーで見せられるものを続けていきたいです。ですから、自分の父親みたいに突然いなくなるのは嫌です。身体を大事にして欲しいです。
心強く温かい言葉で締めくくっていただきました。
私たちもずっと応援しています。ありがとうございました。