『大職冠』第四段

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大職冠

 第四段

三年の月日が過ぎ夫婦の間には、若君が誕生しておりました。
名は、藤若丸。二才になります。
ある時、淡海は、都にいれば、もう少し豊かな暮らしが出来たであろうにと不憫に思い、藤若丸の頭をなぜながら涙を流しました。
そして、海女に「実は、この私は大職冠鎌足公の嫡男(ちゃくなん)、内大臣淡海なのです」と打ち明けました。海女は驚いて、飛びのきました。
そして、自分の身分を恥じて、とっさに淡海の刀を奪い自害しようとしました。
淡海はあわててすがりつき、涙ながら面向不背の玉が龍女に奪われたこと、玉を取り返したい一心で、この地にやって来たことを話して聞かせました。
「春日大明神が、老人の姿で現れ玉を取り返す方法を教えて下さったのだ。
だから、そなたが力を尽くしてくれれば帝に申し上げて、
この藤若丸は我が家の嫡男として世に出るように約束する。いかがであろう」
海女はいきさつを聞き、「この命、惜しくはありません。まして、この子を藤原氏の跡継ぎにして下さるとは願ってもないことです」そして、「ご安心下さい。何としてでも玉を奪って参ります」と、意を決して伝えました。
淡海は喜び、すぐに都へ使いを出すと、大法会とそこで披露する舞楽の準備を始めたのでした。
海女は約束はしたものの幼いわが子を残し、命を捨てて別れなければならないことを思うと、悲ししくて声を押し殺して泣きました。
まだ幼い藤若丸は、母の胸に抱かれながら無邪気に笑っているのでした。
 さて、いよいよ、舞楽の日。
沖に船を並べて舞台を作り、雅楽の演奏家たちも大勢やって来ました。
海底の竜や魚たちは、次々と海面へ浮かび出て来て、その様子を楽しそうに見ていました。
海女は長い長い縄を腰に巻き付けて小舟に乗ると「玉を取ることが出来たら、縄を引き合図をしますから、引き上げて下さい。」

そう、船頭に告げ、鋭い刃の剣を握り、海に飛び込みました。
そして、一目散に海底へと向かい、サッと玉をつかみ取ると、水面へ向かって泳ぎ出しました。
見張りの龍が異変に気づき、もの凄い勢いで追ってきました。
いよいよ、捕まりそうになったその瞬間、海女は、持っていた剣で、自分の胸を掻ききり、そこへ玉を押し込みました。海女の身体はひらひらと海底へと落ちて行きました。
龍は、すでに海女が息絶えたと思ったのか、もう追っては来ませんでした。海底に沈んだ海女は力を振り絞り、縄を引きました。
海の上の人々は、喜んで縄をたぐり上げました。
海上に浮かび上がって来た海女の身体は傷だらけで、気を失っていました。
海女の様子を見て、淡海は「玉を取り返すことができなかったのか。その上、命まで奪われて」と、海女を抱き上げ涙を流しました。
その時、海女が、か細い声で「私の胸の下のあたりを見て下さい。」と、言いました。
胸の傷口の中から、光り輝くものが見えました。
人々は驚き、そっと開こうとしましたが、海女は苦しい息の下から
「少し、待ってください。
この傷口を開いたら私は息絶えてしまいます。
せめて最後に藤若丸に会わせてください」と頼みました。
人々はすぐに、藤若丸を連れてきました。
母は、我が子を見つめ
「愛しい私の子。母はいまから冥途(めいど)に旅立ちます。
神様どうか、この子の行く末をお守りください」
と藤若丸を抱き寄せました。
やがて、海女は「もはやこれまででございます」とつぶやき、最後の力を振り絞り、自分の手で傷口を開くと、玉を取り出し、そのまま息絶えてしまいました。
面向不背の玉は大職冠 鎌足公のもとに無事に届けられ、興福寺に安置された仏の眉間にはめこまれ今日まで伝わっています。
面向不背の玉をめぐる海女と親子の物語は、人々の心を打ち、皆深く感激したということです。
 


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